メリアには、もっとも苦手とするものが一つあった。

 偽令嬢の生活は、雇われ侍女のメリアにとっては、それは優美で且つ夢のようなものだったが、”あれ”がついてくるとなると、彼女は元の雇われ侍女で構わないと思っていた。


「ワン・ツー・スリー。ワン・ツー・スリー。そうそう、いい感じ」
 
 表情を強張らせたまま、メリアは懸命に足元に集中していた。
 けれど、その姿と言ったら、まるで鉄製の芯でも身体に挿し込まれているんじゃないかと思う程、あまりに固くギグシャクシした動き。

「キャッ!!」
 踵に嫌な感触がして、メリアは悲鳴をあげた。
「す、すすす、すみません! パトリック様!!」
 大丈夫だよ、と優し微笑むパトリックの顔は、相当痛かったのだろう、僅かに強張っている。

「さ、もう一度。心配いらないよ、メリア。君は少しずつ上達している。初めの頃と比べたら、随分良くなってきたよ?」
 温厚なパトリックは、メリアを励まそうとそう言った。
 とは言え、メリア自身、自分はかなり運動神経が鈍いということが既に分かっていた。
 こうしてパトリックの足を、靴のヒールで踏んづけるのは、本日でもう七回目だ。
 穏やかな表情をしているが、靴の下はきっと痣だらけになっているに違いない。

「パトリック様・・・?」
「なんだい?」

 すっかり落ち込んで、メリアが消え入りそうな声でパトリックを呼び止めた。

「あの・・・。もう、わたしはダンスができなくてもいいです。すごくドジなのは自分でもよく分かりましたし、才能が無いことも・・・。それに、このままだと、パトリック様の足がちぎれてしまいます・・・」
 数秒間そう言ったメリアを瞬きしながら見つめ、パトリックは「ぷっ」と吹き出した。

「大丈夫だよ! 僕の足は、君ほどの軽い女の子に踏まれた位でちぎれるようなやわじゃないよ。それに、君に才能が無いなんて思い違いだ。誰だって、最初はうまくいかないものさ」
 そう言って、パトリックはぽんぽんとメリアの赤毛を優しく撫でた。
 エドマンドの屋敷へ来てからと言うもの、彼女はパトリックの勧めで、不本意ながらも癖っ気の髪を下ろしたままにしていた。