「あの」
「え?」
「服織女さんと母は、一度会社に顔を出さなきゃいけなくなったそうです。だから私だけ先に行くよう言われて」
「あ、はぁ……」
なるほど、だから一人で来たのか。
まったく大人ってのは騒がしいな。
「あの……」
「はい?……あっ」
しまった。
ここが玄関だということをすっかり忘れて物思いにふけっていた。
「す、すみません、どうぞ上がってください」
「お邪魔します……」
こんな所に立ちっ放しにさせて、非常識なガキだと思われたかもしれない。
くそっ、どうも頭がうまく回らない。
初っ端から心象を悪くしちまったな。
どう挽回しようか、鈍っている頭を必死に回転させながら優子さんを招き入れ、ドアを閉めようとして……俺は固まった。
階段の手すりの影から、目玉が二つこちらを覗いている。
瞳孔の開きまくった目玉が。
俺はしばし、その目玉と見つめ合った。
緊張が走る。
互いが互いを探り、牽制し合い、永遠に続くかのように思われた均衡を、果たして破ったのは俺だった。
「りょ……」
「斗馬クンのバカ!チェリー卒業おめでとぉ!」
ところが、空気の動きを敏感に察知した相手が刺し違えるかのように奇声を発して逃げてしまった。
階段を駆け降りる靴音が急速に遠ざかって行く。
見られてしまった。
あいつ、絶妙なタイミングの悪さで遊びに来やがって。
「今のは……?」
「な、何でもないです、近所の悪ガキだと思います、気にしないでください!」
「そう、ですか」
不思議そうに小さく首を傾げながらも、優子さんはそれ以上何も聞いてこなかった。
どうやら控えめな人らしくて助かった。
しかし、あの馬鹿、何か勘違いしてしまったようだ。
この成り行きを説明するのは骨が折れそうだが、混乱に満ちた感情を思いきりぶちまけたい衝動に駆られているのも事実。
丁度いいから明日あたりサンドバッグになってもらうとしよう。



