揺れない瞳

「社長、どうかしたんですか?確かにそのお嬢さんはお綺麗ですし、今の若い女の子よりもしっかりとした雰囲気はありますけど、それでも社長には愛子さんという奥様がいらっしゃるんですよ」

相変わらず、妙な誤解をしたままの言葉が聞こえてくるけれど、そんな事に構わず、私の神経は全てが父さんの鼓動に支配されているようで動けない。

父さんから感じる、どこか懐かしい香りは、幼い頃抱きしめられた時の香りと同じだ。
肩をとんとんと指先で小刻みに叩く仕草も思い出した。
私が泣いた時にはいつもこうして抱きしめてくれて、とんとんとやさしく気持ちを注いでくれた。

耳元でささやかれる

『結』

その言葉はまるで、幼い頃の記憶を呼び覚ます呪文のように聞こえてくる。

『結』

そう呼ぶのは父さんだけだったと思い出す。そして、その呪文がこじ開ける小さな頃の優しい思い出の扉は全て、父さんからちゃんと愛された事ばかりだ。

『結という字は、父さんと母さんの愛情を結んでくれてありがとうっていう意味なんだよ』

まだ幼すぎて理解できない私に、何度もそう教えてくれた父さんの瞳を思い出して胸がいっぱいになる。

「結、お前のこと、綺麗だって、しっかりしてるって。
良かったな、俺が側にいなくてもこんなに素敵な女性に育ってくれて、悔しいけど……嬉しいよ」

「う……っ」

父さんからの声が、私の心を大きく揺らす。
それまで我慢していた涙が溢れてきて、父さんの肩を濡らしていく。
目の奥が熱くてたまらない。
嗚咽を我慢しようとしても、どんなに口元を結んでも、流れ落ちる涙とこぼれる声は止められなくて。

「……父さん……」

そう言って、父さんの背中にそっと両手を回した。
小さな頃は毎日抱きついていた大好きな父さんの背中は相変わらず温かで広くて。
まるで私が手を回す事を待ってくれていたかのように、とても自然になじんだ。

そして、一瞬びくりと震えた父さんの体だけど、私に負けないくらいに強い力で父さんは抱き返してくれた。
私の背中をぐっと抱え込むその手は、小さな時の記憶のまま、だった。