一時限目の授業を終えて、約束の休み時間になるとすぐに久米が現れた。
「10分しかないからね、手短に言おう」
僕は久米を机の向かい側に促すと、彼は大人しく「聞こうじゃありませんか」と言いながらも腰掛けた。
この飄々とした態度。随分と余裕の表情だ。
雅を手に入れたと思っているのだろうか。
生憎だが簡単にはいかない。
他のどんなことを手放したっていい。
だけど雅のことだけは―――譲れないんだ。
僕は久米の従兄妹である真愛ちゃんから預かったスケッチブックをすっと差し出した。
それがまるで最後の一手であるように。
久米がスケッチブックを見て、一瞬だけ息を呑む。
僕の一手は久米に少しの打撃を与えられたようだ。
「……これを、どこで?」
久米は目を開いて、スケッチブックと僕とを交互に見る。その視線からはさっきまでの余裕が感じられなかった。
「真愛ちゃんから預かった」
「真愛が……」
久米は意外そうに目をまばたき、唇を噛んだ。
「僕が真愛ちゃんに頼み込んだ。君のことを教えてほしいって。
彼女が進んで教えてくれたわけじゃないから、責めないであげてくれ」
僕が心配そうに久米を見ると、久米はちょっと呆れたように吐息を吐いた。
「責めないですよ。真愛に口止めしなかった俺が悪いわけだし」
「そっか。それなら良かった。
彼女から伝言だ。
“捨てることもできない感情を忘れたことにして、置き去りにするなんてズルイ。
ちゃんとこの人に向き合って、ちゃんと自分の気持ちに向き合って”って」
僕が戸惑った様子の久米をまっすぐに見つめると、久米は目をまばたいて唇を結んだ。
久米は―――そのスケッチブックを忘れていったんじゃない。
敢えて置いて行ったんだ。
過去に抱いた気持ちを、置き去りにするように―――
久米がそのスケッチブックにそろそろと右手を伸ばす。その手付きは慎重だった。
まるで壊れ物に触れるような―――
優しくて、繊細な―――
置き去りにしたはずの、感情を手繰り寄せるような、
想い出を包み込むような
そんな手付きだった。



