壁には備え付けのウォークインクローゼットがあり、さすがにそこを開けるだけの無神経さは持ち合わせてなかった僕たちは、敢えてその場所から視線を逸らした。


しかし叔母さんの方が気を利かせて、


「どうぞ、大したものが入ってないと思いますが」と言ってクローゼットの扉を引いた。


「すみません」


恐縮しながらちょっと覗きこむと、ハンガーに掛かったコートやら衣服やらが数点、床には靴の箱が数個置いてあるだけだった。


「美術道具なんかの類いはないのですか?」


まこもクローゼットの中を覗き込み、何気なく聞いた。


「ええ、そう言ったものは……もうだいぶ前に処分してしまって」


「また描けるかもしれないから残しておけばいいのにって、私たちも止めたのですが、あの子はそれを頑なに拒んで、結局冬夜自身が全部処分してしまいました」


おばあさんが寂しそうに顔を伏せ、


僕はそのときの久米の様子をちょっと想像してみた。


僕は美術なんてまったく興味がなかったし、どっちかと言うと自分は学生の頃苦手な分野だった。


それでも美大に進んだ仲の良い友人が、材料や道具に金が掛かるのだと嘆いていたのを覚えている。


だけど高価な分思い入れも強いし、何より“好き”な気持ちがあるから今でもなかなか捨てられないとか。


そんな大切なものを久米は簡単に捨てられたのだろうか。


僕のツレは結局美術教師になり、今は生徒たちに絵を教えてのびのびやってると少し前に聞いた。


『高い金掛けて道具揃えて、グループで個展とかも開いたけど、やっぱそれだけじゃ食っていけねぇワ。


名が売れるヤツなんてほんの一握りだぜ?才能があるヤツが羨ましかったけど、それを生かせない者もいるし、俺のツレなんて未だフリーターやって、それでも絵の道を諦められないっつってがんばってるヤツもいるよ。


確かにそいつの才能は認めるけどさぁ、有名になるのって難しいことだ。


自分の才能に見切りをつけて早々に諦めるヤツもいるしな』


と、以前出張でこっちに来たと言う友人と飲んだとき、その友人が話していた言葉だが、そのときの僕はまるで興味がなかった話だし、正直話半分で聞いていた部分もある。


もっと真剣に聞いておけば良かったと少しばかり後悔。





久米のことを今喋ったら彼はどう言うだろう。


久米の絵を見たらどう思うだろう。






久米は自分の才能に見切りをつけたのではなく、その持て余る才能を捨てざるを得ない何か特別な理由が



ほかにあったのだろうか。