カプグラ症候群―――……


「何それ…」


「脳障害の一種だ。脳障害と言っても、部類は精神疾患に入る。外因的な衝撃や、内因性によるストレスとかから脳の機能が障害をきたすんだ。


カプグラ症候群とはよく見知った顔がまったく他人に入れ替わっている、偽者だと思い込む妄想なんだが、それが一番近いかと…」


保健医は自信なさそうに頭に手をやる。





脳障害―――精神疾患―――……





「……それだ」


あたしは目を開いた。それはほぼ確信だった。


あれは単なる幻覚じゃない。


その障害を引き起こす十分な要素があたしにはあった。


二年前の事件―――


あれがきっかけで、あたしの脳の一部に欠陥が出来たんだ。


聞きたいことが聞けた。


あたしはすぐに立ち去ろうと思ったけれど、思い直してちょっと顔を上げた。


「ねぇ、千夏さん元気?おなかの子は男の子か女の子か分かった?」


「元気。おなかの子は女。千夏に似て美人になるに違いない」


保健医が恥ずげもなく淡々と言う。


あっそ。ノロケはいいよ。


でも気になる。あたしの近くで、今新しい命が生み出されようとしている瞬間なのだ。


「名前は?もう決めてあるの?」


「チヒロ」


保健医はまたもそっけなく答えて、でもどことなく嬉しそうだった。


「ふぅん。千尋ね。千夏さんの一文字からとって?安易だね」


「何とでも言え。これには深い意味がある」


保健医が大仰に言ってこちらを振り返る気配があったけれど、こいつはそれを思いとどまったように前を向いた。