最後は、ゴミの山です。
最後にゴミの山ってねえ。
ゴミの山は、文字通り、ゴミが、私たちが山だと思う姿として存在しているのです。
至る所から、自然発火し、有毒なガスがもくもくです。
私達みたいなぬるま湯で育った人間は、喉を一瞬でやられます。
声が一瞬で枯れます。
そのくらい、ひどい。
そこに、朝から1日ゴミ広いする子どもがいる。
もちろん、大人もゴミ拾いしている。
だから、そこで料理を売る人もいる。
定期的に、日本でよく見かけるようなゴミ収集車が来て、ゴミを捨てて行く。
この車にひかれて亡くなる子どももいるし、大けがをする大人もいる。
ゴミを拾わせてやるんだから…と、ゴミ集取捨の人が、ゴミ拾いの人たちから、お金をとっていく。
そんな所。
でもさ、私、何度でも、ここに行きたいんだよね。
毎日は、イヤだけどさ。
私さ、この場所が変わった時、カンボジアが変わるんだと思う。
どんだけの高層ビルがたったとか、街にいくつ信号がついたとかじゃなくて、
この場所が変わっていく姿が、カンボジアの変わっていく姿なんだと、私は思う。
ゴミの山をそこへ行くと、1年前と同じ光景を見た。
ん?この5歳くらいの子、去年もここにいなかったか?
同じ服で、同じ姿かたちで。
ん?成長しとらんくないか?
といっても、去年、ここにいましたか?と聞いたところで、
「いました」というだろうし。
気のせいだよね。気のせい。
にしても、すっごいゴミ。
何年後だったか忘れたけど、
遠くない将来、このゴミの山無くすとか言ってるけし、
去年より確かにゴミが減ってるけど、無理でしょっていう量のゴミ。
さてさて、私達の姿を認めて人々がよってくる。
なんでかって?私達は、いつもの格好だが、厚手のタオルを口にあて、
手に大きな透明のビニール袋を持っている。
その中身は!私達のゴミ。