「ミナちゃん、今から行っておいで」



気がつくと、いつの間に戻ってきたのか、厨房にウーさんが立っていた。


「ごめん。話、聞こえたんだ」

ウーさんは私の前に冷たい水の入ったグラスを静かに置き、空っぽになったグラスを下げてくれる。

「何も明日まで待たなくてもいいじゃないか、今からすぐに行っておいで。そうすれば今夜のうちに会うのは無理でも、明日の朝イチで会えるんだから」

「でも……遠すぎるよ」

ソウのいるH県。
新幹線で何時間もかかるその場所は、あまりにも遠くて。

私は冷たいグラスを両手で握ったまま、躊躇った。

迷いながらグラスを口に運び水を一口飲むと、冷たい感触が喉をすうっと通りすぎ、私の胸をギュッと締め付ける。

ウーさんは穏やかな口調で、とてもゆっくりと、私に言い聞かせるように続けた。

「遠すぎるものか。椅子に座っていればあとは新幹線が勝手に連れて行ってくれるんだ」

見上げると、そこには優しいウーさんの笑顔。

「俺ならこんな店でグズグズしてる時間があったら、間違いなく走り出しているけどな」

私は見逃さなかった。
そう言うウーさんの右手が、左手薬指の指輪に優しく触れたことを。


あぁ……。
そうだ……。


ウーさんは、奥さんに会いに行きたくても、行けないんだ。
奥さんの声を聞きたくても、もう聞けないんだ……。


それに比べて私の悩みは、なんてちっぽけで、贅沢なものなんだろう。


「今日のメシ代は新幹線代の足しにしたらいい。その代わり、土産に饅頭でも買ってきてくれ」

「……ウーさん」

「アイツにもよろしくな」

「……うん!」


私は立ち上がった。


「ねえ、ウーさん。これからはウーさんに会うために、お店に来てもいい?」

「あたりまえだ。ほら、早く行きな」

少し照れくさそうに、ウーさんは手を振った。

「ありがとう、ウーさん! ごちそうさま!!」