これが私のできる最大限の事だった これ以上、良い案が出てこなかった 相変わらず私は 直樹と直樹の友だちの 溝辺潤耶(みぞべ じゅんや)と 一緒に行動していた。 そして、宿泊研修になった。 この頃から奏汰とは 全く話さなくなった。 直樹と潤耶は 奏汰と同じ班になり、 部屋も同じだった。