夕食の時間になって、一気に忙しさが増してきた。

板場はまさに戦場!

仲居さんたちが走り回る中、女将としてはお酌に回ったり。


「若女将、桜の間のお客様のご招待で…」


番頭さんが、こっそりと言いに来た。

なにか様子が変。

でも、その理由を聞いてる暇もない。


「ただいま参ります!」


小走りに廊下を進んで、玄関へ。

そこに立っていたのは…


「…祥ちゃん!?」


と、おじさんとおばさん。

暑いのに、なぜ紋付袴なの?

その質問は、あっけなく解かれた。

自然と気付いてしまったから。


「結芽ちゃん…!!」


おばさんの声を背中で聞いた。

もう私は走り出していた。

だって……


祥ちゃんが

お見合いだなんて。




息苦しくなって立ち止まる。

私は温泉街の端まで来ていた。

このトンネルを抜ければ隣町。

このまま現実から逃げ出したかった。

なのに、トンネルを抜けられないのは、若女将としての責任を感じているから。

失恋なんかで、あの月之屋をつぶすわけにはいかない。

行きかう車のヘッドライトの明かりが、ぼんやりとぼやけて見える。

でも、私は泣かなかった。

なんで泣けないんだろう…

こんなにも胸が苦しいのに。