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「どうかしました?」
「え……あ、か、傘」
「わざわざ届けに来てくれたんですか。ありがとうございます」
「や、こっちこそ、ありがとう、助かったわ」
「いえ、」


――ピアノのレッスンに遅れて、あの感じの悪い講師からねちねち小言を言われるなんてことは、もう千佐都にとって、ごく些細なことだった。

すぐに会いたい、顔を見て声を聞いて微笑んだ顔が見たい、ついでにできれば色っぽく濡れた姿も強いて言えば見たいかもしれない。
そんな純粋なのか不純なのかよくわからない動機で、気付けば傘をきちんと拭いて畳んで(自分の物ならば無造作に丸めてまとめてしまうところだ)、生徒会室の前に立っていた。

着替えシーンなんてまったく少しも微塵も期待していなかったと言えば真っ赤な嘘になるが、見るつもりがなかったのは本当だ。
ただ少し、勢い余ってしまっただけで。


ぱたり、音を立てて、扉が閉まった。
壁を一枚隔てた向こうには、会いたくてたまらなかった相手がいる。

白い肌に生える、黒いタンクトップ。
それに包まれた腰の細さは、明らかに男性のものではなかった。
千佐都より華奢なくらいだ。

あんなに女の子みたいでかわいいと思っていた大きな瞳も、長い睫毛も、“みたい”で片付けられるものだろうか。

さっきはときめく材料になった首や指だって、考えてみれば、少年にしたって細すぎる。
文字通り折れそうな、それは、まるで。

背後では、准乃介が目を覆い、紅が凍りつき、恋宵が慌て、真琴が焦り、聖が静電気で髪に貼り付く風船にあたふたし、そして夏生は、細く溜め息を吐いたことにも気付かないままで。
千佐都は、小さな声で、呟いた。



「……お……女………………!?」



同時に扉越しには、直姫が面倒そうに、あーあ、と頭を抱えていた。