「そんな不真面目で、享楽的な姿勢で歌を歌っているなんて……私だったら、恥ずかしくて、両親に顔向けできませんわ!」

『お前の母ちゃんでーべそ』などという、意味も根拠も大した悪気もない、なぜ存在するのかもわからない罵りの言葉のようなものだった。
小学生が、相手を苛立たせるのにとりあえず『バカ』と口にするのにも似ている。

けれど恋宵にとってそれは、もっと口汚く心底から罵られるのと同じ意味を持っていた。
それまで一度しか上げなかった顔が上がって、乃恵に向く。
乃恵はそれを無視して逃げるように立ち去ってしまったが、もし一瞬でも恋宵の方を見ていたなら、きっと彼女が今まで見たことのない表情を目にすることになっただろう。

恋宵は、半ば走り去るように消えた乃恵の姿を、目で負うことはしなかった。
目にぐっと力を入れて、握った拳を弛める。
ただ一つ救いがあるとすれば、乃恵の声も、泣きそうに震えていたということだった。