幼い頃、母は両手いっぱいに買い物袋を持って、私の方を向いた。

 乱れた髪、疲れ切った顔、色褪せた洋服。

 母の影はそれらを全て塗り潰すように黒く、後ろに長く伸びていた。


「ほら、見える? あの真っ赤な夕日」


 女手ひとつで私を育ててくれた母は私の誇りだった。

 離婚するまでは男性が振り返るほど綺麗だった姿はもう、過去でしかなく。

 女である事よりも私の母親である事を選んでくれた。


「夕日? うん、見えるよ」

「お昼の太陽は見ると目が痛くなるでしょう。でも、夕方の太陽はずっと見てても痛くない。何でか分かる?」

「んーと……、んーと……分かんない。何で?」

「お昼の太陽はね、空見上げてる暇はないぞ、頑張れーって言ってるの。でも夕方の太陽は、今日もよく頑張ったねって褒めてくれてるのよ。お空を眺めながらゆっくりしてねって」

「ふーん…」


 母は物事を解釈するのが上手だった。何でも、うまい具合に私に教えた。

 今でもよく思う。私は母のそんな言葉に支えられてきた。

 母はいつまで経っても母だった。


「うちのお姫様は、今日は何して遊んだのかな?」

「みんなで鬼ごっこしたよー。楽しかったよー」

「そっか、そっか。じゃあお家帰ったらお風呂に入って、美味しいご飯作ろうね」

「うん!」


 暮れなずむ坂道。かけがえのない人との思い出。繋げなかったけど、ずっと見つめてた手。

 ずっと忘れられない。

 私はちゃんと覚えてる。

 貴女のくれた言葉。ぬくもり。全て。

 私がずっとずっと覚えて、そしていつか産まれるだろう子どもに伝える。

 だから、安心して忘れていいよ。