晴れ渡る、高く澄んだ秋の空の下、清しい海風に包まれながら「私」と朽ちかけた墓標は数十秒ほど対峙したが、空虚に打ちのめされた精神をなんとか立上げた「私」は、ゆっくりと卒塔婆に歩み寄った。そして、卒塔婆の表面を、ざらり、と撫ぜて消えかけた文字を読む。声に出した。
「海難者供養の碑。」
 他の細かい文字は削れてよく分からない。何せ、彫られている訳ではなく、ただ墨で書かれているだけなのだ。とは言え、これは海で溺れた人々のために立てられたものであることは解かった。

 「私」の脳裏にある光景が浮かぶ。数年前、今日のような嘘臭く晴れ渡った空の下、北側の河口近くに、青いビニールシートを掛けられた水死体が転がっていた。真っ昼間だと言うのに野次馬はナシ。警官が二、三人、死体を取り巻いているだけ。
 結構距離はあったが、周りは静かなので警官の声が微かに聞き取れる。ビニールシートの下が土左衛門だと言うのも、警官の話から解かったことだった。

 冒頭でも述べたが、ここは海流が複雑なため沖に流されて溺れる人が多いらしい。サーファーは解かっている分、それらしい事故もないらしいが、確かに夏は海水浴禁止の立て札の向こうではしゃぐ声を聞く。その声のうち、何人かは、正に海に帰っていくわけだ。