「弥一さんっ」
「そろそろ来る頃だと思ったよ」
八重は、弥一のことを「弥一さん」と呼ぶのが定着してきていた。さすがに、「お兄様」と呼ぶのは恥ずかしいと思うようになったのだ。
八重が腰を落ち着けたところに、蕎麦が笊に乗り一人前運ばれてきた。
「八重、午後からも仕事があるだろう?先に食べなよ」
「えっ」
「僕、今日はもう仕事を終えたんだ」
だから先に食べなさいと、弥一は蕎麦を八重の前に移動させた。
弥一がいつもこのように気を遣うので、八重は困っていた。互いに働いたことは事実なので、自分だけが先に箸を付けるのは申し訳ない気がしてならないのだ。
八重がそんな風考えていると、知らぬ間に弥一は蕎麦を注文してしまった。
「いただきます」
蕎麦を放っておくわけにもいかないので、八重は蚊の鳴くような声でそう言うと、ようやく箸を持ち上げた。
「八重は、何でも綺麗に食べるな」
いつも先に食べ始める八重に対してそう言うのは、弥一の口癖だった。

