明治屋クラムジー

 

「弥一さんと、お話したくて」
 

 
八重は言った。穏やかな声だった。
いつもと変わらない様子の八重に、弥一の方は全く心中穏やかではない。
 

君は、君は、僕のお嫁さんになるはずだったのに。
頭の中で反芻しながら、蕎麦を待った。
 

 
「弥一さん」
 

「……」
 

「眉間に皺が寄っております。弥一さん、よく言っていたじゃない。穏やかに平凡に暮らそうって」
 

 
弥一の穏やかで平凡な生活は、八重との婚約破棄により打ち砕かれた。
今までに弥一の眉間に皺がよることなどなかったのだ。
 

 
「弥一さん、私、」
 

 
そう言ったきり、八重は黙り込んだ。
弥一はその言葉の先が気になったが、ちょうど運ばれてきた蕎麦を食べてしまおうと思った。
 

 
「頂きます」
 

 
八重の言葉に、力が感じられない。
弥一は八重に気を遣わせてしまったと思い、慌てていつものように言った。
 

 
「八重は、何でも綺麗に食べるなあ」
 

 
いつもの、弥一の、優しい声だった。
 

明日にも私は、ここを自ら離れようとしている。
八重は泣きたくなった。