夜の坂道で待つケンジは、左手の腕時計を見た。


何度見たか分からないその文字盤は、すでに午後十一時三十分を回っている。



一体何時間、こうして待ち続けたであろう。


ケンジの心に、焦りに似た感情が芽生えた。



その時であった。



「ケンジくん!」


裕美のはじけるような声に、ケンジは慌てて振り向いた。


ケンジは駆け寄ってくる裕美を見ると、その服装に驚いた。



裕美は、うだるような夏の夜だというのに、高校の冬、ケンジの傍らでいつも着ていた、あのダッフルコートを着ていたのだ。


汗だくになった裕美は、息を切らしながら、ケンジの前に立った。



「私、最期の瞬間は、このコートの姿で迎えたかったんだ。」


「夏だというのに?」


ケンジがそう尋ねると、裕美は小さく頷いた。



「このコートは、特別なの。」


裕美はそう言うと、コートの襟元を立てて、いとおしそうに顔をうずめた。



「お父さんが就職して、その初任給でお母さんに買ってあげたのが、このコートなの。」


そう言うと、裕美は少し照れたように笑った。



「それに、このコートには、ケンジくんとの思い出も、一杯詰まっているから。三人の大好きな人の思いが、一杯こもったこのコート姿で、天に召されたいの。」


顔を赤らめた表情を見て、ケンジは穏やかな表情で力なく笑い返した。



「あれ…。」


ふと自分の服装に気がついて、戸惑うケンジを見ると、裕美は穏やかな表情で尋ねた。