「へえ、これから曲を選ぶんだ。」


部屋に入るや否や、テーブルの上に置かれた曲の本を手に取った裕美は、興味深くそのページをぱらぱらとめくった。



「そう。ここにコードがあるだろ。それをこのリモコンに入れて…。」


「うんうん。」


真剣にケンジの説明を聞く裕美の横顔を見て、ケンジは限りなくいとおしく思った。



そして気がつくと、その小さな体を後ろから優しく抱いていた。


「はは、ケンジくん。それじゃあ私、うまく歌えないよ。」


「そうだな。」


ケンジは裕美に気がつかれないよう、右肩で涙を拭うと、その体を離した。



その時、スピーカーからは曲が流れ始めた。



裕美の歌う曲は、全てケンジの知っている歌ばかりであった。


実際裕美は、ケンジが高校時代に隣りで鼻歌のように歌っていた曲しか知らなかった。


テレビもラジオもない裕美の育った環境では、ほかに知る手段がなかった。



ケンジは、裕美の歌声を、心に刻み込むように聞き入った。


その弾むような歌声は、永遠に忘れることはないであろう。



その他の裕美の望みも、どれもささやかなものであった。


ボーリングやビリヤード、ショッピングなど、どれも普通の同年代の女の子なら、普通に行けるところばかりであった。


日常にある、ほんの生活の一部のような、そんな些細なことばかりであった。




しかし、裕美はそのような些細なことが出来ることが、本当に楽しそうだった。




その屈託のない笑顔が、なおさらケンジの心を締め付けた。





まだまだ、やり残したことがあるだろうに。