「裕美。」

実体のないはずの自分を呼ぶ声に、裕美は驚いて振り向いた。

そこではケンジが、優しい寝息を立てて眠っていた。


裕美の表情は一瞬緩んだ。


少なくても、今ケンジの夢の中では、自分はケンジの前にいる。

裕美はケンジの枕元に近づくと、ゆっくりと身をかがめて間近でケンジの寝顔を見つめた。


自分がこうして傍にいる。

ケンジも夢の中で自分の傍にいる。


でもケンジの心にある裕美は、過ぎ去った高校時代の幻影でしかない。


「裕美。」

もう一度自分を呼ぶ声に、裕美は驚いた。


目の前で眠りにつくケンジの口は、動かなかった。

裕美は周囲を見やった。


「なあ、裕美。」


その声は、裕美の遠い遠い記憶の彼方にあるような気がする。

高校に入ってケンジと出会う、いや小学校に入るときに知り合った奈央よりも、ずっとずっと古い記憶。


裕美は、自分の右側に立つ人物に気がつくと、ゆっくりと見上げた。

そこには優しい顔をした男性が、優しい笑顔で立って、裕美を見下ろしていた。


裕美は息をのんだ。


「父さん！」

裕美はそう叫ぶと、父の胸に飛び込んだ。


そんな裕美の頭を父親は優しい大きな右手で撫でた。