「あの……、えっと……。そちらに、平野さんという方は……」
 彼女に会う事だけを考えていた為、上手く応答する事が出来なかった。
『もしかして、沙耶子さんの御友人の方ですか?』
「まあ、そうですけど……」
『では、どうぞ。ここはピアノ教室なので、勝手に上がって来て構いませんよ』
 老婆に言われた通り、僕は門を開けて家に上がった。
 玄関や廊下には、アジアの国で手に入りそうな、珍妙な仮面や楽器が壁に据え付けられている。
「こちらですよ!」
 奥の部屋から老婆の声が聞こえた。
 真っ直ぐに廊下を進み、奥の部屋へ入ると、割と広い部屋に出た。
 部屋の中央には、グランドピアノが一つ置いてある。
 その隣に老婆が一人。
 とても穏やかな雰囲気を纏っていて、優しそうな人だ。
「椅子に座って待っていなさい。すぐにお茶とお菓子の準備をしますからね」
 そう言うと、老婆は部屋から出て行ってしまった。
 窓際には椅子が三つと大きな机が一つ、向かい合う様にして置いてある。
 そこに腰を下ろした。
 中央に設置してあるピアノ以外にも、あらゆる楽器が壁に飾られている。
 ヴァイオリンは勿論、クラリネットやトロンボーンの様な吹奏楽器もだ。
「凄いでしょう。これら全ては、私が若い頃に集めた物なんですよ」
 彼女は二人分の紅茶が入ったティーカップと、数枚のビスケットの乗った皿をトレイに乗せて、部屋に戻って来た。
 それを机の上に置き、僕の向かいの椅子に座る。
「沙耶子さんに用があって来たんでしょ?」
「はい」
「ごめんなさいね。沙耶子さん、今日は来ない日なのよ」
 やはり、平野さんはここに通っていた様だ。
「あの……最初に聞きたい事があるんです」
「何でしょうか?」
「さっき、ホープを弾いていたのは、あなたですか?」
「ええ、そうですよ」
 そう言うと、老婆はゆっくりと立ち上がり、ピアノの譜面台に置かれている楽譜を持って来て、それを机の上に置いた。
「これ……」
 老婆が持って来た物は、ホープの楽譜だった。