そんな事を思ってしまった。
「そうかもしれませんね。嬉しいです。先輩にそう言ってもらえると」
 その場で立ち止まり、互いに見つめ合う。
 キスしてしまいそうな程、距離が近い。
「宮村先輩」
 その名を呼ぶ。
「平野さん」
 彼も私の名を呼び返してくれる。
 こうしていると、なんだか幸せだ。
 退院して間もない、まだ学校へ通い始める前、兄はこんな話をしてくれた。
「沙耶子。一番幸せな時っていうのは、大事な人や大好きな人といる時なんだ」
 ようやく気付いた。
 私は彼の事を好きになっていたのだ。
 爪先を立たせて、彼の唇に自分の唇を重ねた。
 温かい感触が唇から体に広がる。
 ゆっくりと目を瞑った。
 宮村先輩は私の腰を抱く。
 周りに人がいなくて良かった。
 路上でこんな事をしていたら、警察でも呼ばれそうだ。
 互いの唇を離し、再び見つめ合う。
 本当に、この人が愛しい。
 目をギュッと瞑り、また自分の唇を彼の唇に重ねた。
 再び先程と同じ感触が蘇る。
 しかし、妙に鈍い音がして、その感触はすぐに私から離された。
 目を開けた時には、世界が変わっていると言っても良い程の光景が広がっていた。
 彼の右肩には、煌びやかに光る刃物が刺さっている。
 これは包丁だ。
 宮村先輩の背後で、黒いジャンパーを着て、フードを深く被った人影が、肩に刺さっている包丁の柄を握っていた。
 その人影は小さな声で不気味な笑い声を上げる。
 声の高低からして、おそらく男だろう。
 包丁が彼の肩から抜かれた。
 その瞬間、肩の切れ目から勢い良く真赤な血が飛び出してくる。
 その血が私の顔や体に飛び散った。
 宮村先輩はその場に崩れ落ちる様に倒れ込み、息を切らしながら言った。
「逃げて……早く‼」
 何が起こったのか分からない。
 私はどうすれば良いのか、彼の言う通り、この場から逃げて良いのか。