僕は彼女の小さくて細い体を、力一杯に抱き締めた。
 彼女の流した涙が僕の肩に落ち、温かな温度を伝える。
 あの日の僕とは違う。
 そう思う事が出来た。
「なあ、宮久保」
「やめて!」
「え?」
「名前で……呼んで……」
 その声には、少しだけ恥じらいがある。
「うん。沙耶子」
「何? 隼人君」
「キス……しても良いかな?」
 僕の問いに、頬を真赤に染める。
「キス? じゃあ……私、隼人君の……その……恋人になっても良いのかな?」
 鼓動が少しずつ高まり、胸がキュッと締め付けられる様な想いだった。
「ああ、もちろんだ」
「じゃあ、私……欲しいの……平野君が……」
「うん」
 唇に触れた柔らかい感触を感じながら、ゆっくりと目を瞑った。

 どれ程の時間が経ったのだろう。
「こんばんは、隼人君」
 ベットの上で、重い目蓋を開けて横を見ると、沙耶子はピアノに手を添えていた。
 部屋の中は既に暗くなっていて、唯一の明かりは外からの月光だった。
「お洋服、そこに置いてあるから」
「ああ、ありがとう」
 モゾモゾと服を着る。
「今から帰ると、大分遅くなるな」
「隼人君」
「ん?」
「今夜は、ここに泊まろう。お弁当もあるから」
「……うん」
 どうしてだろうか。
 あまり沙耶子に対しての恥じらいを感じなかった。
「ねえ、ピアノ弾いても良いかな?」
「ああ、頼む。僕も聞きたいから」
 鍵盤の蓋を開けて、椅子に座る。
 真っ白な鍵盤が月光に照らされて、眩しく光った。
 鍵盤の上で、彼女の指が踊りだす。
 その度に、綺麗な音が部屋の中で響いた。