大した障害にはならない
むしろ それがあるから成立されている

小さな溝からお互いに 何を拾って
繰り広げていく四方山話

様々に流れてくる
他人の心の断片に 向き合うことが意味するのは
つまり 溝の向こうの人と向き合うこと

笑いながら 悲しみながら 怒りながら
誤っても自らの心を落とさないように

手を伸ばせば触れられる向こう側に
私は 平然と向き合っている
そこに あの人の姿がなくなってしまっても