ポーン…
エレベーターが目的の一階に到達した。
啓人は乗り込むときと同様、扉を手で押さえて
「どうぞ」と言い私たちを外へ促す。
私は今度は何も言わずに促されるまま外へ出た。
教授が続いて降り立つときに
「俺、売れない小説家なんです。
さっきの話、今度出そうかと思ってる作品なんですけど、
どうですかね」
と教授に笑いかける。
「…小説家…どうりで面白い話だと思いましたよ。ええ、売れると思いますよ。
君が何かの賞を受賞して有名になったら、私は後悔するでしょうね。
あのときエレベーターの中でサインを貰っておけば良かった、と」
「後悔―――か。
それは美人の人妻に手を出したときあなたがするものですよ。
彼女の若い浮気相手に簡単に捻り潰されたときに」
啓人はにやりと、口の端で拳を握ると僅かに掲げて見せた。
教授はちょっと虚を突かれたように唇を引き結んだが、
「じゃ」
と啓人は振り返り、後ろ向きで軽く手を掲げて颯爽と歩き去る。
その姿勢の良い姿を見送りながら
「面白いが礼儀がなってないようですね。イマドキの若者は」と
ちょっと呆れたように吐息をついている。
「でも面白い話ですわ」
私は姿勢良く立ち去る啓人の背中をぼんやり見つめて、一言呟くと、
「まぁ想像力は豊かでしたね、まさか人妻設定だとは思わなかったが」と教授が合わせる。
「ええ、本当に―――
でも私なら、その後のお話で
“彼女”はきっと歳若い彼に
溺れる
溺れて、夫も恋人も―――何もかも失う。
と言う結末を考えます」
私が温度のない視線で教授を見ると、教授はまばたきをして
「あなたも面白い人だ」と笑った。



