エレベーターの箱の中には啓人一人。
連れはいないようだった。打ち合わせは終わったのだろうか。
「どうぞ」啓人がエレベーターの扉を手で押さえて笑顔を向けてくる。
動揺してたのは一瞬だけで、すぐに何でもないように振舞えるのは、さすがと言うべきか。
いかにも慣れていそうね。
「どうも」私は短く答えて箱に乗り込んだ。角まで進み…啓人の後ろに立つ。その後に教授がついてきた。
横長の長方形の洒落た階数のパネルは一階が明るく光っている。
「どちらへ?」スマートに聞かれて
「一階でいいわ。あなたと一緒」
私もそっけなく答える。
背中を向けていた啓人が僅かに振り返った。
何か言いたそうに私の方をちらりと窺ったけれど、啓人の視線と私の視線はぶつかることなく、
彼の視線は隣の教授に移り、
「美人な奥さんですね。羨ましいです」
と、よそ行きの笑顔と声で喋りかける。
突然のことで驚いたのだろうか、それでも他愛のない挨拶のようなものだと受け取ったのか
人懐っこい青年の言葉に、教授もにこやかに笑い
「いやぁ、残念ながら彼女は私の妻じゃありません」
と僅かに手を振る。
「これは失礼」
啓人は肩をすくめて前を向いたが、
「本当に
美しい女性(ヒト)ですね」
前を向いたまま啓人が呟き、でもその言葉はしっかりと私たちの耳に入った。
教授がちょっと驚いたように私を見てきて、私は照れたような苦笑い。
「まぁ、お口がお上手だこと」
口元を押さえながら小さく笑って、でもその下で
「何てこと言い出すのよ」と心の中で呟き、唇の端が曲がった。
「お目が高いですね。彼女は元銀座の売れっ子ホステスさんですよ。こんな美人が居たらそのクラブに毎日通いたくなる」
教授はそれほど気にした様子もなく冗談を返す。
「俺みたいなクソガキでも通えますかね。お相手してくれますかね」
啓人はちょっと振り返って冗談ぽく笑むと、
「なに、君もあと五年したら普通に通えるようになりますよ。それとも若そうに見えるけれどもう通える年齢かな」
ははっと笑って教授も冗談を返す。
「俺だったら…
そうですね。
店に通って一人の客として相手をしてもうらんじゃなくて
こんなにいい女自分のものにしたくなりますけどね。
例えば―――
エレベーターホールまで追いかけていって強引に唇を奪ったり。
“離さない”と言う意味できつく抱きしめたり。
―――彼女のハンカチを人質にとって次に会う約束をこじつけたり」
啓人のこの言葉に
私どころか、教授もちょっと驚いたように目を開いた。



