「うーん……いるにはいるんだけど……」
「何か問題でもあるのか?」
「彼女、足が不自由なんだ」
「そうか……なおと、旅館に戻ってくる気はないか?」
「……ごめん……」
 それっきり、会話は途絶えてしまった。僕はその空気を打ち破るように部屋を飛び出すと、ノリちゃんの家に向かった。彼女の両親も既に他界しているので、今は母親の妹夫婦が住んでいる。
「ごめんください」
「あら、井上さん。お久しぶり」
「突然お邪魔してすみません。それより彼女が……」
「ノリちゃんの怪我の事?知ってるわよ」
「それで……その……」
「どうしたの?」
「……ノリコさんを僕のお嫁さんにください!」
 僕の唐突過ぎる申し出に、彼女の叔母さんは目を丸くした。彼女は精神障害を負っている上に下半身が不自由だ。それでも僕は、彼女が僕にとってどれだけ必要な人間かを、叔母さんに力説し、やっとの思いで説き伏せた。
 僕はその足で旅館に戻り、伯父さんと叔母さんに挨拶をして、その日のうちに東京に戻った。
 上北沢のアパートも、思えば四ヵ月近く戻っていない。僕は少し黴臭くなった部屋の空気を入れ替える為、窓を開け放った。夏の日の夕涼みの風が心地よく頬を撫でる。
 僕はそのまま、睡眠薬の代わりにビールを胃袋に流し込み、風に吹かれながら朝を迎えた。