その晩、ほんの少し様子を見てくると言って宿を出て行ったクリストフが、遅くなっても戻って来なかったのだ。
「アカネ嬢、旦那、遅いっすね・・・」
 ボリスが夕食に食べていた肉の骨をしゃぶりながら、退屈そうに言った。
「うん・・・」
 度々こっそりと部屋を抜け出すことはあったクリストフだったが、一度出て行ったきり戻らないことは今まで一度も無かった。
「もしかして、街で何かあったんじゃ・・・。旦那、いい服着てっから・・・」
 あのクリストフに限って、とは思うものの、ボリスの碌でもない一言が朱音の不安心を揺すぶる。
「変なこと言わないで。きっと、何か別に用事ができたんだよ」
 とは言いつつも、朱音の夕食のパンと骨つき肉は、ほとんど形を残したまま机の上に載っかっていた。
「ありゃ、食べないんすか?」
 朱音は、溜息をついてボリスに自分の分の骨付き肉を突き出す。
「ほんなら、お言葉に甘えて!」
 こんなときにも食欲旺盛なボリスに、朱音は呆れると同時に羨ましいとまで感じた。
「そだ。アカネ嬢、あっしで良ければ外の様子を見てきましょうか?」
 思ってもみないボリスの申し出に、朱音は藁にもすがる思いで頷いた。風を操ることのできるクリストフが何か事件に巻き込まれるなんて有り得ないとは思うものの、何かしらの不安が拭い去れなかった。
 ボリスが部屋を出て行って間もなく、窓の外が何やら騒がしくなり始めた。
 けたたましい男の怒鳴り声と、悲鳴。尋常ではない外の様子に、朱音は閉めていたカーテンから僅かに窓の外を覗き見た。
 ちょうど朱音達が宿泊する向かいの宿から、大男が二人の子どもを無理矢理引きずり出しているところだった。
「身元不明のガキどもだ! 儲けもんだぜ!」
 男達は泣き叫ぶ子ども達をひょいとネズミか何かでも摘まみ上げるかのようにして、荷馬車の檻に放り込んだ。
 朱音は数日前に市(いち)で見かけた売りに出される子ども達の姿を思い出した。
(孤児や身元のわからない子どもを探してるんだ・・・!)
 朱音の心臓が危険信号を知らせている。嫌な予感がした。
「この近辺にまだ隠れてる筈だ! くまなく探せ! 逃がすなよ!」
 男達の声が響くと同時、朱音の嫌な予感は的中した。朱音の宿泊している宿にまで男達が踏み込んできたのだ。