たしかに、人間といえども、易々と短い歴史を主張する蟻に屈するだけでは、誇りも何もない愚かものだろう。
それと同様なのである。なぜに私たちが退くひつようがあるのか?まったく信じられない論議である。
宇宙の真理に挑んだ、コペルニクス、ケプラーと呼ばれた偉大な者達がいたようだが、この簡単な真理もわからないようでは、人間の底がわかるというものだろう。
かくいう理由で私は不名誉な人間のファシズムに果敢に抵抗するのである。
なんの根拠もない、外見や遺伝子による迫害には屈しないのである。
だが私達も長い歴史の中で、幾つもの生存競争に生き残ってきた。種を超えての妥協案も大いに受け入れる事のできる社会的な動物なのである。
この自分勝手で私たちと、失礼にも程があるが、共存すら考えない生き物とも暮らしていこうと私たちは考えるのである。
それは私はしっているからである。こういった社会的ではない生き物の末路を。ティラノサウルスやプテラノドンの恐竜達は愚かにも私たちの話を聞かなかったのだ。

私たちは逃げないのである。
今後も我が輩は人間の記録を続けていくのである。