Fahrenheit -華氏- Ⅱ



あたしは腕時計を見た。第一会議室は確か『使用中』になっていた。しかしどの部署で誰が使っているかは書かれていない。


けれど検討はついている。


問題はどうやってタイミングを計るか。


歩を止め考えていると


「柏木補佐っ!」


と背後から名前を呼ばれ振り返ると、緑川さんが小走りに走ってきた。


「緑川さん…走らずに」


と慌てて両手で制すると、緑川さんはハッたように歩みを緩めた。


まだ妊娠しているかどうか判明していないけれど、“もし”そうだったら危ない。


緑川さんはあたしの隣に立っている心音を見て、目をまばたき、同じように心音も緑川さんをしげしげと眺めている。


「心音、悪いけどそこのお手洗いに行って、後で呼ぶから」と女性用トイレを目配せ。


心音は深く突っ込んでこず


「OK~♪お化粧直ししてくるわね♪」と小さくウィンク。


心音が洗面所に向かって行くのを眺めながら、緑川さんが「柏木補佐の……お友達ですか?」とおずおずと聞いてきた。


「そんなようなものです。ビジネスの絡みもあり」


本当のことだ、嘘をつく理由もない。


「打ち合わせですか…?すみません、呼び止めちゃって」


「いいえ、大丈夫ですよ」


そう答えると緑川さんはあからさまにほっとしたように肩を撫で下ろし、しかしすぐに表情を引き締めた。


昨日と同様きょろきょろと辺りを見渡し、声を潜めて


「二村くん、やっぱり昨日柏木補佐と何があったのか聞いてきました。それもかなりしつこく」


と言った。今は二村さんが……恐らく『会議中』なのだろう。緑川さんはその隙を狙ってきたに違いない。


「それで…」


「柏木補佐にアドバイスもらったそのままの言葉を言いましたが…」


「納得していない様子でしたか?」


「……そこのところ分かんないんです…」


緑川さんは制服のスカートをキュッと握る。


分からない―――…かぁ。まぁあの巧みに言葉と表情で人を操る男だ、緑川さんが簡単に分かる筈もないだろう。今まで一途に好きだったら尚更。


「三回ぐらい聞かれて、こっちも本気でちょっとうんざりしてきたから葉月ちょっとイラってきて『あたしの言葉が信じられないの』って言っちゃって、ちょっと喧嘩っぽくなっちゃったんですけど…」


「でも仲直りできたでしょう?」とやんわり聞くと


「はい…」と緑川さんが俯く。


それは、今緑川さんを手放したくないからだろう。


それならば瑞野さんとの関係も隠し通すのを最優先させるべきことだと思うが。


他に何か考えがあるのだろうか。


考えた所で分からず


「今後、またしつこく聞いてくるようなら私に報せてください」


「はい……ありがとうございます…」


緑川さんは小さく頭を下げ、


「あ、すみません!柏木補佐も打ち合わせでしたよね」と言い


「いいえ、大丈夫です」


と言い交わした所だった。第一会議室の扉の向こうが賑やかになった。会議が終わったのだろう。


それを察した緑川さんが


「それじゃあたし…!」と足早に去って行った。


そのタイミングを見計らってあたしは洗面所の扉をノックすると、心音が顔を出した。


「Right now.(今よ)」と顎をしゃくると


「Nice timing♪」心音は指をパチンを鳴らした。