Fahrenheit -華氏- Ⅱ



遠ざかっていく真咲の背中をぼんやりと見つめながら、俺はため息を吐いた。


そして真咲の背中に向かって、俺は声を掛けていた。





「この近くに―――アロマルージュって店がある。そこで待っててくれ」





俺の声は無機質なコンクリートに響いて、思った以上の大きなものになった。


真咲がゆっくりと振り返る。


その顔に、不敵とも呼べる笑顔が浮かんでいた。


だけど不覚にもその笑顔に、妖艶な美しさを―――見た。



――――


真咲と別れてから、俺は一旦正面玄関へ戻り、受付のカウンターで内線を借りた。


#810


相手先は―――瑠華だ。


「あ、柏木さん?悪いけど、急に打ち合わせが入ったんだ」


『打ち合わせ?』


瑠華が少し怪訝そうな声で答える。


「そ。さっきのセントラル紡績さん。まだまだ話したいことがあるらしい」


嘘は言っていない。


俺はいつだって女に嘘はつかない。




だけど―――この言葉の裏に持つ意味は―――瑠華を騙していることになる。


後ろめたい気持ちを隠すために俺は早口で言って、早々に通話を切った。