愛を教えて。

流れに流され、いつの間にか私は、707号室の扉の内側、つまり桐生響の家の中にいた。


「どうぞどうぞ~あがってあがって~」


仕方なく言われるがままに、彼の後をついていく。
そういえば、初めてかもしれない男の人の部屋に入ったのは。

なぜだろう。
不思議と帰りたいと強く願えない。

どうして?


「ここが俺のリビングでーす」


「ここ?」


そこには大型テレビと黒のソファ、黒のシックなテーブルのみが置いてあり、殺風景だった。


彼の見た目からして、もっとごちゃごちゃしていると思っていたんだけれど。


「さ、ソファ座ってて~お茶出すよ。あ、テレビつけていいよ」


……はぁ。

彼のペースからなかなか抜け出せない自分に腹が立つ。


キッチンのほうから鼻歌が聞こえてくる。

何がそんなに楽しいの?


「はい、どうぞ」

ガラス張りのテーブルの上に、可愛いカップがコツンと置かれる。
カップからは、ふわりとリンゴのような香りがした。

「…カモミール」

そう小さく呟く。

「そうだよ。いくらか気持ちが落ち着くだろうって思って。あ、コーヒーかお茶がよかった? 」

となりに座ってニコニコと笑顔を振りまく彼には返事をしないでおく。
余計に疲れそう。

私はゆっくりとカップを手に取り、香りを少し楽しんだのち、一口口にふくむ。

ちょうどよく温かくて、冷めきった心にじんわりと浸透していくそれは、不覚にも私の涙腺を少し緩めたのだった。

ずっと私を見つめていた彼が、心配そうにこちらを見つめている。


何か言いたいけど、言う言葉も思いつかないので、無視を決め込んでいると、彼が何かに気づいたようで、やんわりと微笑んだ。



「泣くほどおいしかった?」