9回裏、ツーアウトランナー無し、5ー0。5点差を追い掛ける大島ホワイトスネークスはこの試合で負ければ、最下位が決まるという泣きたいくらい大事な試合なのだが…最後のバッターとなってしまいそうな四番秋元に向かって「野球はツーアウトから!」と、 康が言い終わるか終わらないうちに秋元の打った打球は高々と真上に上がり、守備位置をほとんど変えないキャッチャーのミットに収まり、大島ホワイトスネークスの最下位が決定した。
「はい、おわりおわりー」待ち兼ねたように横から娘の由依(中学二年生)がリモコンでチャンネルを変える。途端にテレビの画面は華々しくなり、カラフルな衣裳を纏った少女達が左右からステージに登場し、康にも聞き覚えのある歌を歌いだした。
「いやーまにあったー、ナイスあきもと!ナイスキャッチャーフライ!」
康は由依を睨んだが、由依はおかまいなしにテレビ画面すれすれまで近付き、今や国民的アイドルと呼ばれる少女達に釘づけとなり、その歌を一緒に口ずさんでいる。
確かに、我が河西家にはテレビが一台しかない。自分の観たい番組もままならない毎日だろう。しかし、しかしだ、今、父親がひいきにしている大島ホワイトスネークスの最下位が決まったのだぞ!…「お父さん、残念だね(泣)…来年はさ、きっと優勝だよ(笑顔)!」みたいな、慰めの一言も無いのか!こいつは!と、思いつつも康は気の抜けた顔でテレビの中の少女達の歌に、笑顔に、娘の由依を重ね合わせて…目を奪われていた…

由依が産まれた時、康は思った、《赤ん坊ってこんなに小さいのかぁ》それもそのはずで由依は未熟児で産まれてきたのだ。由依が産まれた瞬間、期待していたような産声は聞こえてこなかった。まるで雨音かのようなか細い泣き声がお産室の片隅でサーサーと聞こえるだけであった。
康と妻の由香里にとって初めて授かる命を知った時、二人は狂喜乱舞した。実際に狭い部屋で社交ダンスのようなものもした。元々体の弱い由香里に対して、担当の医師は難色を示したが《愛は地球を救う》が信条の二人には怖いもの無しだった。
男の子なら康の文字をとり《康一》女の子なら由香里の一文字をとって《由依》と名付けることにした。
医師の心配どおりに、予定日よりはるかに早く由依は登場した。まるで初デートの約束の時間まで待ちきれず待ち合わせ場所に