「美波、行って来るよ」

ベッドの上、背を向けたままの私の頭をなでて、悠ちゃんが言う。

私は泣き腫らした顔を枕にうずめたまま、何も言わなかった。

悠ちゃんが玄関を出て行ったのを確かめてから、ようやく起きあがる。

妻失格だ。

でも、そんな気分でもない。

病み上がりの重い体をひきずりながら、リビングへ行く。

ブラインドを上げると、夏の眩しい光が部屋いっぱいに差し込む。

私の気持ちとは正反対。





タクシーとかいう気分じゃなくて、電車に乗って実家へ向かう。

今の時間では、もう通勤や通学の人はまばらで、大学生とか年配の方がちらほら。

その中で、ひとりの女子高生がドアの近くに立っていた。

私の母校の制服を着てる。

すっかり遅刻の時間なのに、焦っている様子もない。

ただ、窓の外を流れていく風景を、まっすぐに見ていた。

なぜか、心の中で、昔の自分と重ね合わせていた。

あの頃は毎日楽しかった。

何の迷いもなかった。

早くから行きたい大学も決まっていたし、成績もそれほど悪くはなくて、とんとん拍子だったから。

正式な婚約者として、悠ちゃんを紹介されたのは、ちょうどあの頃。

16歳になった時だった。

悠ちゃんは20歳。

まだまだ医学生まっただ中で、今よりだいぶ幼い顔立ちだった気がする。

料亭とまではいかないけど、それなりの場で、顔を合わせた。

顔見知りなのに、妙に緊張して。

“医者になって、美波のことをちゃんと支えられるようになったら、結婚したいと思ってる”

その言葉通り、6年後、悠ちゃんは迎えに来てくれた。

研修医を終えて、実家の病院に就職した、その日に。