綺麗な服を着せられ、周りの顔色を見ながら育った僕は何よりも恐れていた事があった。僕は、女家系に生まれた。祖父は他界しておらず。父親離婚。母親の姉と祖母と3人の女に囲まれ暮らしていた。その3人の女が怖かった。常に顔色を伺う子供だった。自由奔放のように見えて、周囲の期待に応えなければという気持ちが、もう3歳になる頃には芽生えていた。英語の勉強もそうだ。算数の勉強も…。勉強しないと怒られる。ご飯を溢したら叩かれる。片付けないと殴られる。そんな意識の中でいい子でいなければという衝動だけで、生きていた気がする。自由とはかけ離れた子供時代だったように、思う。幼稚園に入園し、まず最初に疑問に思ったのは、色別のスモッグ。どうして僕はピンクなんだろう。でも、いいか。くらいにしか考えていなかった。遊ぶものへの興味もこの頃から、おかしくなっていた。ミニカーが異常に好きだったらしい。(本当に自分ではもう思い出せない。周りの言っていた事などを思い出しながら書いている。)ちょうど、この頃からだろうか、僕がヴァイオリンを習い始めたのは、僕の大好きな叔母。でも怒ると鬼以上に怖い叔母が好きなNHK交響楽団を一緒にTVで見ることが多くて。僕はヴァイオリンに興味を持ったのだ。それでヴァイオリンを弾きたいと強請る様になったらしい。そして、今も付き合いのある恩師に出会うことになる。当時は音楽だけが生きがいだった。自由を表現するすべだった。楽しみを与えてくれた。悲しみを忘れさせてくれた。孤独を忘れさせてくれた。僕には音楽がすべてになった。次の年、ピアノも弾けるようになったほうがいいと言われ、これは気乗りしないが…叔母に薦められたので行き始める様になった。ピアノ教室。今では好きなのだが、当時は弾くより聞くほうが好きだった様に思う。そんなこんなで幼稚園時代が終わり小学校へ入学する時、衝撃だったのがランドセルの色だった。僕は赤じゃない!!黒だ!!でも、声にすることが出来なかった。母親に買い与えられた色は赤だった。綺麗な赤。いい子でいなきゃいけない。僕は買ってもらえただけ幸せなんだ。そう考えるようにした。