――――もとから賭けをした選択なのだ。もう侍女に見つかったとしても構わない。
私は椅子から立ちあがった。がたり、と鳴った床との摩擦音に侍女がどうしましたか、と声をかけてくる。未だに私を敬う言葉を拭いきれていないようだ。大丈夫、もしこの賭けが勝ちならばアナタもその立場から脱却できるはずだから。
私は、その侍女の言葉を無視した。決心が揺らぎそうだからとか、勇気を振り絞るためだとか、そういう弱さからの行為ではない。ただ、私は自分の人生のために責任から逃れる行為をする、その背徳のために生まれたものだった。もう一度、ごめんなさいと侍女へ向けて花束を贈るように心情で呟くと私は何の躊躇いもなく指先で鏡に触れる。ぬめりとした感触に沈められる感覚がして指先を前方へ伸ばせば、伸ばした分の長さだけ指が鏡の表面に呑み込まれた。それを見つけて驚愕した侍女が私を鏡からひきはがそうと私の肩を掴む。しかしそれは後の祭りというやつだ。私の意志は揺らがない。たとえこの瞬間に私が奉仕するべきであった国家が再建したと伝えられても私は断固としてこの場を動かないだろう。ずぶりずぶり、と鏡の侵食が肘までやってくる。けれどこのまま突っ立っていては身体全てが鏡に入ることは叶わない。どうするか、そんなの考える前に経験が身体を勝手に動かしていた。くぐればいいだけだ。私は一度、呑み込まれていた腕を抜くと、重たくて邪魔な婚礼衣装を足もとからびりびりと太股のあたりまで一直線に破った。マレーン姫!と素っ頓狂な声をあげる侍女は既に私の視界には存在していない。足が見えるように深いスリットが入った衣装になった純白に絶叫する侍女さえも。私は、視界がくぐもって邪魔なヴェールを捨てるように床へ投げ捨て、再び鏡へと侵入を開始する。まずは鏡の淵に両足をかけてそのまま足から先にずぶりと呑み込ませてから、その勢いで身体を支えていた両腕の力がなくなり―――――私は完全に、鏡の中に入って行った。