もうひとつ、鏡について分かったことがある。それはいくつもの心情が巡りに混ざって混沌とした感情になると、青年はその混沌の中で最も色濃く、最も単純な表情を選ぶのだと。だから青年は今、私の傍にいない。口に封じとして布を突っ込まれ、手首足首ともに藁縄で縛られ、家屋の床に転がされている私の傍に。なんとかこの場を好転させなければならない、自分がこれからどうなるのか検討もつかない、とにかく逃げるのが正解だ。縛られて歩けないのなら、身体を転がしてでもいい、とにかくここから。けれど、私の身体は視界に見える扉まで突進していくほどの体力も、精神力もあるはずはなかった。扉の前、私を見下ろす、白髪の男性の視線で、私の身体は薬を打ったように硬直してしまっていたのだ。恐怖。そういえば、ここまでのいざこざで忘れていたが、私がまだ姫であったころ、両親が私を男性に引き合わせることをしなかったため、こんな短期間に男性という生き物と触れあうことは初めての経験であったし、なにより。あの青年は私の味方であることははっきりと理解できていたから意識すらしていなかったけれど‥この男性は。明らかに私を自身の欲望のために何かしら使用するような敵意ある気配なのだ。恐怖。気絶させられて連れてこられた謎の場所。拘束。目の前の敵意。恐怖。そう、私を助けてくれるはずの青年は、私の心情を今多いに占めている恐怖を映し出したため、私の前から姿を消してしまっていた。