僕は死に至りたくなります。それは小石が水面に波紋を鳴らせるように静かで、けれど世界が変わる脈動が確かに僕の心情にはあるのです。心情の中、本人である僕にさえ身体の真ん中にあらわれた心臓よりもまるくて黒い、もやもやとした苛立ちを言葉にすることができません。確実に、僕の中に革新があった、それだけははっきりと分かるのですが。どうにも、この身体の真ん中にどすんと鎮座する物言えぬ巨大さが僕の生命の在り方を嘲笑ってくるのです。どうしようもなく、死に至りたくなる。それは息を吸って吐いている生命の循環のように自然で矛盾なく、なんの咎めもない、自由の中の一択。そう、自由なのだ。僕がこの革新によって至る結果は、当人である僕の自由。ならば、僕は死に至ってもいいのだ。責任の残らないすこし身勝手だとは知っていようと、選択してもいいのだ。そう、僕はこの死の無責任さを知っている。しかし、僕が死に至ることは自然なことなのだ。身体の真ん中のもやもやが、僕の身体をだんだんとじんわりと侵食していく感覚がした。僕は死を急かされているのだ。僕は世界が僕をいらないと吐き捨てた変わりようを、革新として心情に苛立ちを植えたのだ。僕は、無責任だ。隣に座って泣きむせぶ彼女を最後まで愛してやれなかった、僕は‥無責任だ。「いくよ」僕は言います。よぼよぼになった手のひらでよぼよぼの彼女の頬を撫でて。僕の死は無責任だけれども、しかし自由選択であり、矛盾ない自然なのです。寿命という苛立ちが僕の身体をたべていく。それは自然に静かにけれど確かな革新をもった脈動を感じさせて、僕は――――至る。