王様は確かに王様だけれども、実はその部下が実質的な支配者だった、なんていうのはよく聞く話だ。できる王様よりもできる副官の方がなんだか聞き慣れた響きで、それに王様を無敵に支える人間の立場ってのは、何だか外で見つめると格好がいいように思える。それに、私は人間の上の上に立つほど才能があるわけじゃないし、秀でた何かを持っているわけでもない。勉強は好きだ、趣味もそれなりにある、人と話すことも嫌いじゃない。学生時代に繰り広げられていた脳味噌の順位付けも私は上位の方であった。だから、親に胸を張っていられたし、生きている自分の生命に疑問を持つことはなかった。自分がそれなりに貢献できる人間であると自負していたからだ。けれど、私は王様ではなかった。私は王様を支える立場である自分が心地よかったし、頂点に見られない気の楽さもあった。当初、王様はみんなの視線の中でも背筋を伸ばし、自身を律し、部下を引っ張って行く現代の神であると、私はそう思っていた。でも、なんだろう。この王様はなんだろう。私よりも仕事ができなくて、ぐうたらとデスクの前に座っているだけなのに、なぜこの人は私よりも偉いんだろう。でも、どんな王様だって、王様になった事実がその人間の何か秀でた素質を語っているはずなのだ。でも、私はこの王様に王様たる理由を感じたことなんて一度もない。私はそこで、一つの野望を抱いてしまう。下剋上だ。しかし、冷静に思考すれば、歴史上をみても、下剋上は危険でリスクの高い行動だ。課せられたリスクからの罰ははかりしれない。私はそこでいつも思いとどまるのだ。自分が賢いからそこで思いとどまるのだといつも言い聞かせた。上に立つ勇気がないだけだと笑われてしまうから、私は自分がそれなりに賢い人間で、今はこの立場にいるべきなのだと、自分に暗示をかける。それからある夜、仕事の帰り道に学生時代の旧友と会った、彼は言う。「なんか君さ、輝いてないよね」昔はもっとこう‥。言いかけた旧友の口を塞ぐ。暗示が脳味噌からぺりぺりと剥がれていく音がしたのだ。