散る際の一瞬が美しいのなら、僕たちは一体どこへ向かえばいいのだろう。真っ暗な自分だけの孤独な世界で、自分を自分と認識することなく、目的も存在意義も知らず、ただただ生まれながらにして組み込まれた生きるための生理的欲求を無意識的に行って、時間の経過も感じることなく、いつの間にか僕たちは太陽の存在を知った。世界は一様に明るくなり、僕たちは太陽の下で生きているのだと気づく。そうだ、僕たちはあの暗いところで、この太陽を見るために生まれてきたんだという事を理解するのだ。だから、僕たちは空気を吸って、栄養をとる。大きくなるために、太陽に手が届くくらいに。そうして、いつか‥僕たちは太陽には近づけないことが分かるんだ。これだけ見えるのに、これだけあったかくて、これだけ太陽のことを感じているのに。僕たちには太陽と触れることも許されてはいなかったのだ。誰かが言った。散る際の一瞬だけ最大最高に光る生命の輝きが美しいのだと。僕たちは、今まで何のために生きてきたんだろう。息を吸って、背を伸ばして‥。終わる一瞬が切ないほどに美しいのなら、太陽なんて知らなければよかった。伸びる努力も、想い焦がれる愛しさを。知らなければよかった。知らなければ、僕たちは、簡単に萎れることができたんだ。こうして、人間の手で茎を切られることも、華やかさが痛い花瓶に生命を延ばされることもなかった。さっさと息を殺して、消えてしまうことができたのに。あるとき、小さな子供が僕たちに手を伸ばしてきた。大人が触ったら駄目よ、と言っているのが聞こえる。けれど小さな子供は所詮は小さな子供だ。まだ拳さえも上手く握ることができない小さな手が、僕たちの首筋に触れた。ふんわりと、あたたかい手がまるであの太陽みたいで、僕たちは思わず目を瞑った。心地よさに、目を瞑った。ぷちん、という一瞬の美しさを奏でながら。