触れるのが怖い。とくに犬や猫なんかが怖い。人間はまだいい。というか、人間が触れなかったら自身を触れることができない。僕には分からない。ああやって、動物を平気で触れることのできる人間が、僕には不思議で仕方がない。僕は怖い。頭を触ると指先に伝わってくる、彼らの脳味噌の形が。背を撫でると感じる背骨の感覚も。短い両足も、毛に守られている肉の感触でさえ、僕は怖い。僕はその気になれば簡単にその本能しか機能しない脳味噌を潰すことができるだろう。四足歩行のための背骨も僕は折ることができるし、肉だって削ぐこともできるだろう。僕は怖い。怖いのだ。いつか、でき心で人間の力を行使してしまうのが。怖いのだ。生命に触れるということが。僕が生命を絶てることができるという事実が。虫は殺せるのに、どうして動物になると怖いのだろう。愛を持てるからというのなら、虫を愛する人間たちにとって僕は敵になる。多分、それは単なる僕の利己主義に過ぎない。結局は、僕は自分が可愛いのだ。自分には触れられる、その事実が喋っている。僕は僕に触れられる。きっとそれは、僕は死にたくないし死なない、という人間の頂点欲、いわば強欲。でもきっと、僕はあるでき心でこの触れる自身の首が怖いと感じるようになるのだ。だんだんと、時代が移ろっていくうちに、細くなっていくから。身体も全部小さくなって、簡単に、誰かの手で、殺されることができるようになるから。それはまるで動物のように。無抵抗に無抵抗に。僕は生命が怖い。生命に触れるのが怖い。死を感じるあたたかさが怖い。今ある、永遠と信じる世界が壊されてしまうから。死が、怖い。