無垢な君を押し倒す



午後の授業も何となく身が入らないまま。苦手な古典だというのに、用語も文法も右から左へとすり抜けて行く。

誰でも知っているであろう源氏物語。若紫を見初めた源氏は、想い人の影を求めて少女を愛しみ、育て、そうして代わりの愛はどこへ消えてゆくと思ったのだろうか。


取り留めもなくそんなことばかりを考えて、あまりの生産性のなさに自分でも呆れる。今日何回目だ。


もう今日の授業は諦めることにして、窓の外に視線を投げる。ふと視界に入った茶色。笑だ。赤いジャージに身を包み、長い髪をポニーテールにしている。

窓側の席で良かったと思う。隣には見たことのある女の子。

あ、笑った。

かわいい。やっぱり笑は笑った顔が一番似合うと思う。
春の陽気のように、ぽかぽかとそんなことを考える。同時に、今とは対照的な今朝の顔を思いだした。


落ち込んだ顔、何かを考えている顔、それとも困った顔?

分からない。ずっと一緒にいても考えていること全てが分かるわけじゃないのだと実感した。笑のことは俺が一番知っていると思っていたし、あいつ自身思っていることがとても顔に出るから、笑の考えていることなんてすぐわかるつもりだったけれど。

思い上がりもいいとこだ。

自嘲的な笑いが零れる。そのまま項垂れるように机に突っ伏した。風が頭の上を通って行く。風と一緒にもやもやと収まらないこの感情もどこかへ流れてしまえばいいのに。


そんなことを考えて目を閉じた。瞬間、頭の上で鈍い音が鳴る。同時に衝撃が襲ってきて、勢いのまま額を机に強打した。

額を擦りながら顔を上げると、いつの間に横に来ていたのだろう、教科書を持った呆れ顔の担任がいた。


「いい加減にしろ、緑川。体調が悪いなら保健室に行くか?」

「いや、大丈夫……」

「だったらちゃんと授業聞いてろ。お前、古典の成績だけ悪いから俺のせいみたいだろ」


非難がましくそんなことを言う。教師としてどうなんだ。
 
教室中の視線を感じて居心地が悪い。


「先生の教え方が悪いみたいだもんねー?」
「お前は古典以外も頑張らなきゃいけないけどなー?」


茶化す水樹に返す担任の言葉に笑いが起きる。注目が逸れたことにほっとした。


 「あーもう、どこまで説明したっけ」

教卓に戻りながら授業を再開する声を早々に流して窓の外を見る。先生には悪いが、今日ばかりはどうにも集中できそうにない。


笑を探すと、すぐにさっきとは少しずれた場所に立っているのを見つけた。笑いかける隣の相手は、知らない男子生徒に変わっていた。