最後に笑ったのは春だった。



爽やかに笑った口で

オデコにキスをした口で

いつもみたいに、その淡い唇の口角を少し上げて不敵に…

でも、全然笑ってなかった。
春の目は今にも泣き出しそうに震えていた。


背の高い華奢な体をスーツに身を包んだ人が押し込み、車はタイヤを鳴らして走り去って行く。
その後を追いかけたいのに、足がすくんで動けない。


春。

そう叫びたいのに、誰かがそれを止める。
見覚えのある色褪せたジーンズに茶色いセーター、顎に髭を生やし、疲れた顔を作った夫が目の前に立って居た。

そんな夫を前に、私はただ首を横に振った。


違う。

春じゃない。

春は何もしてない。



また、誰かが止める。


「少し事情をお聞きしたいので、署までご同行願えますか…」


寄れたスーツに曲がったネクタイをぶら下げた五十代くらいの男性が側でそう言った。

その後に続くように、高そうな黒いコートで身を包み、腰のベルトをしっかりと締めた綺麗な女性が言う。



「大丈夫ですよ。少し事情を訊くだけですから」



女性は私の腰にそっと手を当て、労るように車へと導く。

すると夫が「大丈夫だ」とか「お前は悪くない」とか言いながら手を取ろうとした。
私はそれを振り払って車に乗り込んだ。