「いっちゃん」


一歌は事務所を出た瞬間、聞き覚えのある声に呼び止められた。


「……浅田さん」


一歌は溜め息と共に、声の主の名を呼んだ。


「いいんですか、撮られますよ?」


修二が乗る車に近付きながら一歌が言うと、修二はあはは、と笑った。


そして、皮肉めいた口調でこう言った。


「だから、俺は困らないって」


そう、困るのは一歌なのだ。


「さようなら」


一歌はそれだけ言い、車から離れた。


すると、修二が突然大声で笑い始めるので、一歌は思わず足を止めてしまった。


一歌がそろりと修二の方を振り返ると、修二は心底面白そうに笑っていた。


いや、面白そう、ではなく、楽しそうに、だ。


「何ですか?」


一歌は修二の車に再度近付き、訊いた。


「いや、いっちゃんて、飽きないな、と思って」


一歌は修二の言葉の意味が分からなかった。


「失礼します」


一歌は丁寧にそう言い、修二に頭を下げた。


「ご飯、奢るよ」


一歌の背中に、修二の甘い低音が届く。


「仕事の相談したくて来たんだけど」


足を止めない一歌に、修二は少しだけ声を張り上げた。


一歌はどうせ嘘だと思いながら、足を止めることはしなかった。


「本当なんだけど?」


修二は一歌の思っていることなんてお見通し、といった様子で続けた。


一歌はそれに仕方なく足を止めた。


「……嘘じゃないですよね?」


一歌は振り返りながら、声も張り上げずに訊いた。


すると、修二がにやりと笑って答えた。


「勿論」


瞬時に、騙されたことに気付く。


一歌は騙されたと理解しながらも、修二の車に乗り込んだ。


一歌の中の修二の印象は、初対面の頃からは大分変わった。