一歌は知っている歌を片っ端から歌っていった。


色んな歌を歌い、色んな歌い方をしてみる。


それが一歌なりのボイストレーニングなのだ。


それを毎日のように繰り返しているが、それは一歌が特別熱心、というわけではなく、「暇だから」だ。


事務所に顔を出しても、聞いたり打ち合わせたりする仕事の話は特にない。


だからといって、部屋にずっと籠っているのもさすがに飽きる。


そういった理由で、一歌は毎日のようにボイストレーニングをしていた。


そのお陰か、一歌の歌声はデビュー時よりもぐっとよくなっていたし一歌自身それは自覚していたが、それが人気に繋がらないのが芸能界の厳しさだった。



「そんなにやってたら、喉潰すよ?」


一歌ががむしゃらに歌っていると、突然男の声が耳に届いた。


一歌は歌うのをぴたりとやめ、声の方に顔を向けた。


「竣平さん」


一歌に声を掛けた青年は名前を呼ばれ、にか、と笑った。


あっさりしているがその顔立ちは均整が取れている。


彼、日野竣平は、一歌が所属する事務所の先輩であり、「二大スター」と呼ばれるもう一人だった。


竣平は一歌がデビューしたての頃から彼女の面倒をよく見ていて、一歌も彼に仕事の相談をしたりするほどに慕っていた。


「よ」


竣平は片手を軽く上げ、今度はにこやかに笑った。


「今日、仕事だったんですか?」


一歌は竣平の側に寄りながら訊いた。


竣平は多忙を極めるため、事務所に顔を出すことは少ないのだ。


あるとしても、新曲の打ち合わせ程度だ。