ナイトメアのサマーライヴツアー
日本武道館は二万人のファンで、凄い熱気だ!
7月の頭からスタートしたサマーライヴツアーは、日本全国46箇所を廻り、最終日の今日、東京に戻ってきたのだ。
ナイトメアは、ビジュアル系のパンクロックバンドではあるが、ハードロックやバラード・ラブソングなんかも凄く定評のある業界トップクラスのミュージシャンである。
ギタリストのYu-Ya(ユーヤ)は、業界きってのギターコレクターとしても有名で、かなりの本数のヴィンテージギターや、海外の有名なギタリストからもらい受けたギターなどが数十本もある。
他にも、レアな限定のギターもあり、ライブでたまに披露してくれる。
常に愛用しているのは、フェンダー・ジャガーで、ギタリストとしての腕前も国内ではトップクラスで、レフティと言う事もあって、カート・コバーンの再来なんて言われている岡田祐哉である。
ベーシストのNori(ノリ)は、祖父がベルリン・ジャズ・フェスティバルやニューポート・ジャズ・フェスティバルにも出場経験のある、有名なプロのジャズベーシスト河田芳之氏 で、おじいちゃん子だったノリこと若き日の河田紀之少年は、物心がつく前には祖父が買ってくれた子供用の小さなベースをオモチャ代わりに弾いて遊んでいたのだ。
東京生まれの東京育ちのNoriだが、大阪出身のおじいちゃんの影響で、 Noriは関西弁でしゃべるのが常である。
ドラムスのMasayaは、お寺の住職の次男坊で、兄貴がお寺を継ぐ事になっている。
松本正輻(まつもとしょうふく)と言う本名を、まさや(Masaya)と読み芸名としたのだ。
お寺の子として生まれたので、こういった僧名を付けられたのだ。
でも、小さい頃から友達にはマサヤと呼ばせていたので、しょうふくと言う名前の方が違和感があるらしい。
そして、ボーカルはデビューして直ぐに天才音楽家と騒がれ、今も尚トップクラスを走り続けているSeiji。
日本画家・小川誠太郎の一人息子として生まれた誠治は、絵の方には進まず、小さい頃から音楽が好きで、2才からピアノを習い、高校生の時には全日本ピアノコンクールで優勝を果たしていた。
高校卒業後は、音大のピアノ学科に進むのかと思えば、バンドカーニバルを見に来ていた篠田企画と言うプロダクションの社長に気に入られ、卒業と同時に友人達と4人で篠田企画に席を置いて活動を始めた。
それがナイトメアの始まりである。
高校在学中は、この4人に後輩の栗田(現THE BIG DIPPERのボーカリスト栗田栄祐)ほか、現ディッパーの原田・山下・橘の8人で【INSOMNIA(不眠と言う意味)】と言うバンドを組んでいたのだ。
ナイトメアの楽曲の7割以上がSeiliさんの作詞作曲で、18才で高校卒業して直ぐに大ヒットを連発した。
殆ど寝る間も無く活動し、ある日の番組収録に寝坊して1時間以上トチって(遅刻)しまったのだ。
若い彼等を、番組のプロデューサーが
『デビューして半年なのに、良いご身分だな!
大先輩を1時間以上待たすとは、偉くなったもんだ!
天狗になってんと違うか!?』
「すみませんでした。」
メンバー全員で頭を下げて回り、演者たちは許してくれてるのに、その局のプロデューサーはまだ怒り足らないらしく、ナイトメアの全員で土下座しろだとか、やる気が無いのなら帰れ!だとか罵倒していた。
その時、庇ってくれたのが、若き日の新星MUSICの高山社長である。
それからナイトメアのメンバーは、高山社長の事を『兄貴!』と呼んで慕っているのだ。



