「ごめん、ちょっとだけ」

「……あの、私、汗臭いから…」

「はは、俺の方が臭うだろ?」

「ううん…、そんな事ない、けど、誰かに見られたら…」

「誰も、居ないよ」


抱きしめる腕に少し力を込めると、強張っていた奏の身体の力が抜けていって、頭に唇をひとつ落とす。


そのまま奏の頭に軽く顎を乗せ、開いた窓から流れてくる風に煽られながら、夜の水平線を暫くの間眺めていた。


「……佐野君」

「ん?何?」

「今日、凄く楽しかった。誘ってくれてありがとう」

「はは、何言ってる?まだまだ遊びに行くぞ?夏休みはこれからだ、あ。そうだ、秋にはちょっとバイクで遠出して、拓ちゃん達とツーリングにでも行こうか?」


そんな話を今日拓也としていたんだ。


教習所には夏休みに入って直ぐに通い始めたらしいし、バイクもカケルさんの知り合いから安く購入出来るみたいだし。


「……秋には…」

「奏は何処行きたい?どっか行きたい所ある?」

頭から顔を離して、少しかがんで奏の顔を覗き込むと、奏の鎖骨に回した俺の腕をギュッと掴んで、うつむき固く目を閉じていて。


「……どうした?まだ気分悪い?」

「え?…、ううん、大丈夫。お腹空いちゃって…今お腹が鳴ったから…、恥ずかしくて、あはは」

腹の虫?
聞こえなかったけど?


「ははは、帰るか?」


言いながら奏の肩から腕を離し窓を閉めた。


「うん。お腹空いたぁ」


非常口から外に出て体育館に戻ると、既に後片付けは終わっていて、バスケ部員は既に帰り支度を済ませていた。


学校に迎えに来てくれと母さんにメールを送る。


俺は全員が体育館の外に出たのを確認して。


しんと静まり返った体育館に、誰にも気付かれないよう、軽く一礼してから入口横の照明のスイッチを押した。



ここにはもう来ない。


今までバスケやらせてくれてありがとう。



少し重い錆びた扉を、俺は音を経てながらゆっくりと閉めた。