今日はほとんど寝てないし、精神状態も良くない。散歩に付き添って、また祖母に何か言われるのも嫌だ。どのみち何か言われるのを覚悟で断ると、祖母は「じゃあ、明日は必ず行くように」と言い、その後、運良く雨が続いた事で、当分の外出は免れた。
 しかし、祖母の言動は今後の不安や奴隷的日常を予感させ、従わなければ、家族としての地位や“生”を否定する言葉が待っていると、私はたまらず引き出しのカッターに手を伸ばすと、その冷たい刃先を左腕へと押し当てた。この時はまだ、ギリギリの所で切るまでには至らなかった。
 時を同じくして、母は4月から週2回、ケアセンターに通い始める。
 祖母はそんな母を「倒れるよりマシ」と、好物の揚げ物ばかり与えて甘やかし、孫の私には常に威圧的な態度で接する。年末の大掃除で1人忙しい中、すっかり甘え癖がついた母は「パンを焼け。猫が吐いたから片付けろ」と、うるさい。断れば「役に立たない」。パンぐらい、自分で焼いたらどうなんだ。
 愛されてる実感はなく、心が満たされぬまま与える側になると、私はやりきれない想いから自室にこもり、入口をガムテープで完全に塞いだ。医学事典の“心の病”のページに何度もナイフを突き刺しながら、もう、死ぬか目の前で手首でも切らなければ、誰もこの苦しみに気付いてくれないだろうと思った。そうして、その日から実際に切る練習を開始する。

 正常とは言えない行為を繰り返す中で、ふと、自分はこの世に向いていない人間なのだと、死ぬために生まれてきたのだと考える。
 時にはゴミ箱からプライバシーを侵害、本当は何もわかっていないのに、わかったような口をきく祖母。仮に祖母が死んだとして、今度はあの世から全てお見通しかと思うと、永遠、あの冷たい視線にとらわれるのが怖い。それならば、いっそ、私が先に死んでしまおうか。