そういった傾向は夢にまで表れ、夢の中で私はイジメっ子に反撃。教室でイスを投げ飛ばしてケガをさせ、パニック状態で逃走するも、家にも学校にも戻れないと死を考える結末だった。
 このまま一緒にいては本気でマズイと思い、私は母といる時間を減らす事にした。それは同時に、自分で出来る事さえ人にやらせようとする母の甘えを正す目的もあったが、
 「やれる所は自分で洗いなさい。出来ない所だけやってあげる」
 入浴時、母にそう言って機嫌を損ね、母は私が「大丈夫? 手伝おうか?」と声をかけても完全無視。可愛げのない態度が余計憎らしく、またイライラがこみ上げてきて、3分置き、5分置きに確認すればいいやと、別室に移動して30分後、母が私を呼ぶ声がする。母は浴室を出ようとして滑ったらしく、裸のままタイルの上にぺちゃんと座って身動きが取れないでいた。
 私は冷えた体に熱い湯をかけると、「ほら、立って!」と力を出すよう促してはみるが、母はただ泣くばかりで、全体重を預けるだけ。脱衣所の床に座らせても、体は私のいる後ろにばかり倒れ、祖母を呼びに行く事も出来ない。そこで身近にある物を使い、洗濯カゴに柔らかそうなセーター類を大量に巻き付けては、背当てに代用。
 こんな緊急時さえ、祖母に話しかけるのは勇気がいったが、私がそれを伝えると、祖母は慌てて母屋へやって来た。母は少し落ち着いたのか、ふらつきながらも自力で部屋に移動し、「食べないんだから、力が出ないに決まってるだろ」と、心配した祖母はこの日、一緒に夕飯を食べる事になる。
 私は内心ビクビクしながら、新聞紙の陰で2人の会話をうかがっていた。その結果、強引にでも病院へ連れて行く事になり、総合病院は待ち時間のわりにたいした診察を受けられぬまま、1週間後、胃カメラ決定。もう何ヶ月も通常歩行だった母は、その日、杖をついて帰宅する。
 処方された胃薬は母には合わなかったらしく、祖母の意見で服薬を中止。食事は、昼に食べた物が夜になっても口の中に残ったまま居眠り…なんて事も多かったが、飲み込んだかどうかは、話しかけても答えないのですぐにわかった。