それを聞いて、母までが「看護婦は私に退院がいつか教えてくれなかった。きっと、回復の遅い西野さん達の前で、私が元気に歩き回ってるのが気に入らなくて追い出したんだ」と言い出した。入院中、同室患者から「婦長が権限を持っていて、気に入らない人がいると、彼女の一言で無理矢理退院させられる」と聞かされていた影響かもしれない。
 生来、頑張りやの母は歩行練習に精を出し、祖母の命令により私が付き添って、片道20分程のスーパーまで歩いて向かう。母の歩行に合わせ、私もゆっくり歩きながら、途中、知人に声をかけられ平然と振る舞う母の姿に、自分じゃ、こうはいかないなと思った。
 帰宅後、祖母は私にこう言った。

 「あんたは普通に歩けるんだから、先に行って待ってればいいんだよ。あんたがトロトロ歩いてんの見て、嫌になっちゃった。バカか?」

 バカ呼ばわりされてまで、一緒に歩きたくはない。私は母に付き添うのが嫌になった。
 病院から食事療法の説明を受けていた祖母は、母の食事に神経質になり、その晩は家族3人揃って夕飯を食べる事になる。私はまた祖母に何か言われるのではと、内心、脅えていた。
 案の定、母には「死んだ方が良かったんじゃないか」、私には「車の免許がないなんて、バカか? みっともない」という話になり、それはわざと酷い言い方をすれば、“なにくそ”でやる気になるんじゃないかと、彼女なりの考えで言っているらしかった。すなわち、仮に私が「死にたい」と言えば、祖母は「あぁ、死んじゃえ、死んじゃえ」と答えるはずで、なぜ、そんな言い方をするのか言葉の意図がわかっていても、傷付かずにはいられない。
 ガソリンスタンドでのやり取りが不安で避けてきた車の免許。「リハビリに連れて行くのに、車があった方が便利だから」との説得で、1度は教習所行きを承諾するも、内心、車があれば寝床には困らないと、家出を企てていた。「余所はみんな車を持っているのに、うちだけ持っていない」と、祖母の言葉は世間体中心。皆と違うから「みっともない」と言うなら、障害のある我が子を恥じる母親と同じだろう。祖母を助手席に乗せるたび脅えてる自分を想像すると、ここはやはり辞退したい。