このまま死んでしまうのか、手術をすれば助かる病気なのか、何もわからぬ状況に先が見えず怖くて、せめて病名がわかれば…と、祖母の漏らしたキーワードに家庭用医学事典を開く━━『脳内出血』と判明。

 翌日、祖母の弟の車で病院へ向かう。混雑した院内を介護用オムツを抱え歩くのは、正直、恥じらいも感じた。祖母は私を案内すると自分は早々と家に帰り、残された私はやや遠慮がちに離れた位置に座って、母の意識回復を待ち続ける。
 そして、ようやく目が開くと、母はすぐさま上半身を軽く起こすようにして、足元に人の気配を探る。母は左手で右腕を持ち上げたり、布団をめくって右足を見せては『右半身マヒ』を訴え、昨夜、玄関で言葉を交わした時とはうって変わって、今は「うー」とも「あー」とも似た声を発している。私がこんな状態であるし、一家の行く末を案じたのだろう…次の瞬間、「ううぅ」と激しく泣き出してしまった。
 こんな先行きの見えない体で、誰かを頼らずにはいられなかったのだろう。母は私の手をギュッと握りしめて離さなかった。この人のどこにこんな力がと思うほど、その力は強く、私はその力強さと“生”のぬくもりに『必要とされている』と、自身の存在価値を見た気がした。

 稼ぎのない私に、今、出来る事は何だろう?

 バス代節約のため、仕事帰りの里奈に車で拾ってもらおうと電話するも、相変わらず「わからない」と返事をはぐらかすばかり。何度こうして失望させられた事か…彼女に期待した自分もバカだ。仕方なく、その日はバスで帰宅。

 3日目は母の意識が戻った事もあり、祖母・私・母の勤務先の奥さんの3人で病院に向かう。車内は母の話題で持ちきりだった…
 「店で冷蔵庫洗ったり、荷物運んだりすると、洋ちゃん、すごく息がハァーハァーいってて、最近も『腰が痛い』って言うから『病院に行ったら?』ってを勧めたのに、『平気、平気』って行こうとしないんだもの」
 「最近は踊りもやっててね、『ちょっと痩せたんじゃないか?』なんて話してたんですよ。でも、この子が凝った料理を作ってね、それがまた量が多いんですよ」